Sunday Mainichi
CD : Toshiyuki Fukushima
AD : Osamu Suzuki
● タカシ、あの大地震のあと、僕たちはものすごい悲しみと恐怖の中にいる。君が過ごした村の家々は全部壊れてしまった。
○ 何てことだ……ロビンドラ、君と家族の安全、そしてネパールの復興を祈ってるよ。
● 僕たちは大丈夫。生きている……でも気持ちは不安で、そして最悪だ……神の恵みを。祈って、そして応援してほしい─。
ネパールに暮らす友人のロビンドラから、突然受け取ったフェイスブックのメッセージである。
「生きている……でも……」
どこか大きな団体に寄付を考えていたが、そのメッセージに衝撃を受け、すぐにでも友人のもとに行きたいと思い立った。彼の求めていた大型テントや蚊取線香、懐中電灯、マスクなどを大量に購入して出発したのが六月二十三日。カメラマンになって初めての「発表する当てのない単独取材」でもあった。
到着したカトマンズで、バックパッカーの聖地タメルや旧市街の寺院、露店などを見ると、人々の生活は取り戻されているようにも見えたが、やはり観光客が極端に少ない。また、近年建てた建物は無事なものも多いが、古くからの煉瓦積み建造物は軒並み倒壊している。国際救援隊が帰国した後の現場に入る重機は少なく、瓦礫を一つ一つ手作業で取り除き片付ける姿も多く、復興にはかなりの時間を要するだろう。
ロビンドラは、十七年前に初めてネパールを訪れた時に知り合った友人である。その時招待してくれた彼の故郷バルワは、カトマンズから約十五㎞離れた電気、ガス、水道のない小さな村だ。ヒンドゥー教の祭「ダサイン」を体験するために一週間を過ごした。動物の血をドゥルガ女神に捧げるその儀式は、私とネパールを繋ぎ続けている強烈な記憶である。バルワの村には私の顔を覚えている人もいて、顔を合わせるなり喜びを露にしてくれたが、村を見渡すとほぼすべての家が倒壊していた。当時私が泊めてもらった家畜小屋も、十年前にロビンドラが村の子どもたちのために建てた学校も、ひび割れ、穴が開き、危険で中に入れない。彼の見積もりだと、耐震構造を持つ校舎を新築するためには3万5,000ドル(日本円で約400万円)が必要だという。
復興への道は遠く険しいように感じた。だが、ようやく再会した友人家族が変わらぬ笑顔で迎えてくれ、村と国の再建に意欲を燃やしている姿がせめてもの救いであり、喜びだった。
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